友人の書いたことより

去年、ロシアに行ったときに一緒になった友人と、それなりに変わった親密さで仲よくしてもらっている。(こんな書き方をして本人がどう捕らえるかは分からない)

彼の書いたことがとても印象に残ったので、コピーさせてもらうことにした。ぼくの歴史認識とも似通った部分があるので、もし興味があれば読んでいただきたい。

皆様、あけましておめでとうございます。新年は中朝国境で迎え、去年・おととしと引き続き、自宅で新年を祝うという伝統から遠ざかっております。先ほど帰国したのですが、当初の療養という目的を全く達成できず、むしろ頑張りすぎるくらい頑張ってしまい、冬休みも終盤に差し掛かった今、初めてゆっくりできる予感です。今回訪問したのは、大連、ハルビン、延吉、図們、長春の5都市でありました。ハルビンでは、体感温度-42度を経験したため、カザフスタンのカラガンダでの-41度の記録を塗り替えました。

今回は、1週間程度の短期間の滞在で僭越ではありますが、中国の東北部で学んだ歴史認識について私見を述べさせていただきたいと思います。少し長くなるかと思います。歴史認識について今回訪問した博物館の中に、731部隊博物館がありました。詳細な説明はwikipedia に譲るとしますが、日中戦争中に日本が現地の中国人やロシア人捕虜を「マルタ」と呼んで一連の生物兵器作成のための人体実験に使用した際の主導の部隊となったのが731部隊です。南京大虐殺問題と同様、「存在しなかった説」から「数十万の犠牲者が発生した説」まで様々な議論が存在する「いわくつきの」場所です。実際に展示の多くが日本の戦争犯罪を弾劾するものばかりで、見学して決して気持ちのいいものではありませんでした。これらの展示を見ながら感じた論点として、「事実があったかどうかは別として、ここにいる人たちは、それが事実であるという教育を受けてきた」ということです。事実、この博物館で採用されているのは中国の立場であり、ここに書かれている展示が、「中国人の歴史」となっています。中国においてはこれらが事実ということになっています。それに対して731部隊はなかったと主張することは、一種彼らの歴史には反します。

仮に、731部隊なんて存在しなかったという極論が真実であったとしましょう(私はこの意見には真っ向から反対しますが)。それが証明できたところで、中国国民に何の影響を与えるでしょう?むしろ、日本に対して逆の変な怒りがわいてくるのではないでしょうか。自分が今まで蓄積してきた事実なり、経験なりが誤っている、とはなかなか認識できないものです。特に愛国教育等を受けて自分の国に誇りを持っている人々は、なかなか受け入れられません。

今ここで、このような極論を挙げたのも、民間人レベルでは、何が正しいかをひたむきに証明することに奔走することが、歴史問題を解決するとは限らないということを示すためでしかありません。もちろん、事実は事実、誤認は誤認ではっきりさせることも重要です。ここではそういうのは学者の人々に丸投げします。自分が教えを請うている歴史の先生は皆人格的にも、学者としても素晴らしい人ばかりです。そういった人に任せておいた方がいいし、そこで冷静な議論をしていただきたいと思います。私の思う、民間人レベルの歴史問題は、〇か×かを相手に教えるような問題ではなく、例え×だとしても〇になっている問題なのだと思います。

では、歴史問題をどう解決するのか。私の考えとしては、歴史問題の解決はありえないということです。これは私がペシミストだと言うのではなく、単に「歴史問題における問題の解決とは何か」がわからないからです。一方領土問題は結構単純化できると思います。例えば、両方が納得する形で領土の帰属が決まれば、基本的には領土問題は解決します。こういった形で、中朝国境の長白山、中ロ国境の画定が行われました。それに対して、歴史問題はどうでしょう?例えば慰安婦問題。どうしたら解決になるのでしょうか?ハルモニと呼ばれる人々が亡くなる前に日本政府から公式の謝罪を受けることができれば彼女たちは安心して天国に行けるでしょう。めでたし、めでたし、となりますか?「慰安婦問題によって、国の威信が傷つけられた、賠償しろ」と言われたらどうしましょう。実際に記念碑がたち、博物館ができ、そして教科書で教えられる。こういった一連の流れができてしまった以上、「いくら謝ったって許されない」「いくらお金を払ってもゆるされない」という正論すぎる正論を半永久的に生む可能性があります。これではキリがありません。

そのうえで、日本人は何を考えなければならないのでしょうか。まずは、自分の歴史を認識することだと思います。これについては教科書問題で様々な議論がありますので、論点はそちらに譲るとしても、できるだけいろんな人の意見、色んな本を読むこと、これを徹するのが一番かと思います。また、問題の解決に過度な期待をしない。日本人はアジアにおいてはあくまでも加害者という立場にいます。お金を払っただろ?謝っただろ?と言ってしまえば、いらぬ反感を呼ぶだけです。時も解決してくれないと思います。こうした問題はしっかりと教育という媒介を伝って、若い世代へと伝わります。若い世代は戦争を経験していない分、それだけ感情に左右されやすいという特徴があります。ただ、思うに、中国、台湾、韓国、北朝鮮の人々が将来的に許す、許さないは別として、歴史問題が理由として日本と付き合っていくことをやめる国々とは思えません。現在の相互依存が進んだ世界において、日中・日台・日韓・日朝(一応)を切ることは様々な不利益をもたらします。また、中国、朝鮮とも歴史ある大国であり、日本もまた歴史ある大国であり、これら三国には、その歴史に見合う懐の大きさが備えられています。ですから日本人も卑屈になりすぎることはなく、自分が思うことはハッキリと言うべきです。相手はこちらを理解してくれないし、こっちも相手が何を考えているかわからないと考えることが相互不信につながり、冷戦のイデオロギー対立の根源になったことは、ゼミで勉強したことです。ここは、お互いに相手の胸を借りるくらいの勢いで思うところをぶつけるのもいいでしょう。勿論政治体制の違いという大きな壁があります。今回の旅行では中国人は皆優しかったし、歴史問題もほとんど触れられませんでした(少し残念ではあったが)。それでも国家対国家になると仮想敵国にまでなってしまいます。相手に思いをぶつけろって言ったとしても、誰にぶつけるのかについて私から具体的な意見はありません。ただ、それだけ、歴史問題は複雑だし、これは現代に生きる日本人にとっても、それだけ責任感を持ってふるまえという警告にすらなるものなのでしょう。また、お互いに共通する歴史認識を持つ必要はないと思います。そうではなく、お互いに共通する歴史があるということを常に認識したうえで付き合っていくこと、決して避けるのではなく、大国同士堂々と付き合っていこうではありませんか。歴史問題は、10年、20年で解決するものではありません。それだけの責任があるものです。歴史を専攻する学生として、それほど大きなテーマを扱っているということを改めて実感できたことは何よりも幸せです。

~ by akira2nd : 1月 7, 2013.

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