プスコーフのことを少し
秋ごろだったか、週末の土日を使って、ノヴゴロドとプスコーフをめぐったことがあった。ノヴゴロドは、高校の歴史教科書にも出現するし、非常に馴染みのある名前だったりするのだが、プスコーフはあまり馴染みがない。
プスコーフはサンクトペテルブルクから300キロと少し南西へいったところにある、ラトヴィアやエストニアと国境を接する地方にある小さな町だ。人口は20万人ほど。
ただ、ラトヴィアやエストニアと国境を接する、ということもあり、ロシア史において(とくに軍事)非常に大きな役割を果たした。プスコーフのクレムリンは15世紀に包囲された26回、全て敵を撃退しているという。それもそのはず、クレムリンが非常に重厚なつくりをしているのだ。
・外からみたクレムリン
・クレムリンへ入っていく小道(この風景が非常に日本人の心を掴みやすいのではないか、とは考えている。)
・クレムリンの中の至聖三者大聖堂の非常に立派なイコノスタス
・プスコーフを流れる川を渡ると町並みが急にバルト三国っぽくなる。やはり影響を受けているのか。
あまり観光投資を行われていない街らしく、駅やバスターミナルからこのクレムリンへたどり着くのは難しい。現地人たちに声をかけながら行かなければならなかった。それでも現地の人たちは本当に優しく、丁寧に道案内をしてくれたり、クレムリンへ向かう途中へ色々な教会へ寄っていったのだが、手持ちのお菓子を全部くれたり、手厚い歓迎を受けることができた。(それでもアジア人慣れしていない若者が「にぃはお!」と叫んでくることは何回かあったし、現地の人もすさまじい視線でぼくたちを見てきた)
近場にプーシキンスキー・ゴールィなど、見所のあるところがいくつかある(回ることはできなかったが)。黄金の環とは違う、「ロシアの端」として近隣諸国と衝突した歴史を持つこの地域をめぐるのも面白いかもしれない。